ハチ公略年譜


ハチ公詳細年譜に対し、主要記事のみを編纂。
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大正12年

11月 秋田県秋田郡二井田(ふたいた)村字(あざ)大子内(おおしない)(現大館市)、豪農の斉藤義一宅に生まれる。父母ともに斉藤家飼育の秋田犬、父・大子内山号、母・胡麻(ゴマとも書く)号。
大正13年

1月14日 かねてよりの上野英三郎博士(東京帝国大学農学科教授)の求めにより、教え子である栗田礼三氏の手続きで東京へ送られる。翌15日東京駅着、受取人、上野家出入り植木職人の小林菊三郎氏。

はじめの6ヶ月は病気がちであり、2月6月に病状が悪化。梅雨があける頃にようやく回復する。博士を駅まで送迎するようになる。
大正14年

5月21日 上野博士、講義中に急逝。脳溢血による。告別式は26日行われる。

上野八重子夫人が内縁の妻であることから、法的処置により、屋敷の立ち退きを迫られる。四十九日を待たぬ引越しの為、ハチは夫人親類の日本橋の呉服商に預けられるも、「粗々」を起こし居を移される。7月中旬頃、夫人の親類である浅草在の高橋家(理髪用椅子の製造と販売業)に託される。

定説ではハチの浅草在は二年と伝わるも、小林友吉氏(小林菊三郎氏弟)は半月にも満たぬという証言もあり、一考を要する。また、一般に流布する「ハチ公は上野家へ逃げ帰った」という説も友吉氏は否定している。(「ハチ公文献集」収録)。

昭和元年頃

上野未亡人の新宅、世田谷に完成。寄宿先よりハチも戻されるも、諸事情により上野家出入りの植木職人小林家へ譲渡される。ハチ公の渋谷散歩はじまる。
昭和3年

7月 日本犬保存会創立者であり、日本犬を求むる斎藤弘吉氏に発見され、8月第一回日本犬犬籍簿に登録される。
昭和4年

 皮膚病悪化し、生命が危ぶまれるも、小林家の看護により奇跡的に回復。病後の衰弱の為、以前負傷した耳が垂れる。
昭和6年

7月17日 秋田犬が日本犬初の天然記念物認定。
昭和7年

9月 斎藤弘吉氏により、ハチ公履歴が日本犬保存会会誌に発表。10月同氏投書により、4日付東京朝日新聞にハチ公記事掲載される。これにより、駅へハチ公を見舞う客が殺到する。

11月6日 日本犬保存会主催による第一回日本犬展覧会、銀座松屋屋上会場にハチ公招待を受ける。日本犬保存普及の功績による。
昭和8年

6月頃 彫刻家・安藤照氏(帝展彫刻部審査員)より、斎藤弘吉氏のもとへハチ公モデルの依頼。ハチは小林氏同伴で安藤氏アトリエに通う。8月末にほぼ原型が完成。

10月 東京上野開催の第十四回帝展(16日より11月20日まで)に、安藤照氏製作ハチ公等身大石膏像が出品され、好評を博す。

11月3日 日本犬保存会主催第二回日本犬展覧会(上野公園前広場開催)に、ハチ来賓に招かる(二回目の出場)。観覧者より人気を博す。

  11日 東京ポチクラブより名誉会員に推薦され、会員賞を受ける。

  17日 ハチの人気高まり、渋谷駅は身柄保護の必要を感じ、ハチ公身元調査を行う。ハチ公世話係り佐藤氏の渋谷警察署出頭の取調べ結果、富ヶ谷在植木職小林菊三郎宅判明。

  30日 渋谷駅長吉川忠一氏、ハチ公係り佐藤氏両人が上野家訪問。
昭和9年

1月1日 ハチ公像入り記念スタンプ、渋谷駅より使用される。

   9日 吉川駅長より駅員に、銅像設計計画具体案の発表。

2月6日 ハチ突然発病し重態。見舞い客殺到。19日付け「やまと新聞」に詳細記事掲載。これに、二日程前から回復しつつあることが報ぜらる。

2月13日より3月10日ハチ公演芸会(ハチ公の夕)開催準備に多忙を極める。

3月10日 明治神宮外苑青年館にて「ハチ公の夕」(寄付金募集演芸大会)催さる。入場者約三千人の盛況を博す。

  15日 ハチ公事蹟、ときの皇太后陛下令耳に達し、臣下にご下問あること伝えられる。

4月21日 渋谷駅頭ハチ公銅像除幕式盛大に挙行。

9月 上野公園における第三回日本犬展覧会にハチ公招待される(三回目の出席)。

12月 吉川英治原作、映画「あるぷす大将」にハチ公特別出演、銀幕デビューを果たす。
昭和10年

3月8日 午前六時過ぎ、ハチ公逝く。死因は老衰と肝臓病による。関係者により通夜が営まれる。

  9日 銅像前に焼香者殺到。

 10日 用務あって上京した栗田礼三氏、渋谷駅前のハチ公霊祭に遭遇する。

 12日 青山墓地にて葬儀行わる。同日大館町蓮荘寺において慰霊祭。

6月15日 上野の科学博物館二階回廊において、ハチ公剥製開眼式挙行。

7月8日 大館にてハチ公像除幕式行われる。
昭和12年

3月8日 ハチ公三周忌の法要営まれる。
昭和19年

10月12日 ハチ公像供出の為、銅像別れの式が催される。大館駅前の銅像も続いて出征す。
昭和20年

5月25日 大空襲により、ハチ公像作者の安藤照氏焼死。ハチ公像原型も疎開途中の東京駅で焼失。斎藤弘吉氏の研究室とともに、ハチの骨格標本も戦火に失われた。

終戦直前 浜松の工場にて、供出されたハチ公像が溶解される。
昭和23年

8月15日 渋谷駅前にハチ公像再建。
昭和59年

4月8日 ハチ公像建立五十周年ハチ公まつりにおいて、東大農学部農業工学部学生らの粋なはからいで、同学科にある上野英三郎博士の胸像とハチ公像が、時空を越え銅(かね)を通し、再会を果たす。
昭和62年

11月14日 大館駅前にハチ公像再建。
平成16年

10月10日 秋田犬保存会本部前に「望郷のハチ公像」建立。
制作・ハチ公館長

参考文献・引用


「ハチ公文献集」収録の記事
斎藤弘吉「日本の犬と狼」収録のハチ公年譜
小野進「忠魂賦・忠犬ハチ公頌賦」収録の「ハチ公の一生と死後のことども」
日本犬保存会五十周年史上巻収録の会誌
自作ハチ公詳細年譜