はじめて犬に咬まれた話
「大きい犬を飼ってるんだって?」
職場で一服つけているとき、ふいと犬の話題になりました。
「ええ、大きいんですよ。仔牛ぐらいはありますよ。秋田犬なんです」
立てば背丈はこのぐらい――自分の目の高さへ手をやれば、みんなは「へえ」っと目を丸くしています。その感心ぶりに、いくらか誇らしい気持ちになっておりましたら、
「でも、秋田犬ってさ、怖いんだよね。あたしさア、子供の頃にね、こーんな大きい秋田犬に追いかけられてさあ、ガブリと咬まれたことがあってね……」
職場でもおしゃべりな人が、突然「秋田犬に咬まれた話」をし出したもんだから、きまりが悪くなってしまいました。大きくて怖かったの、ずいぶんヒドイ傷になったのと、相変わらずその人の熱弁は続いています。自分の犬とは無関係なのに、同じ犬種ということで、どうにも具合が悪いのですが、そんなことにはまるで気がつく様子もなく、大げさな手振りで「いかに秋田犬に咬まれて怖かったか」の体験が語られました。その内に、仕事の時間となりました。
「まあ、そんな悪い犬でもないんですがね……」
自分は、ポツリと呟いて部屋を出ました。
秋田犬というと、どうも「咬む」という印象が強いようです。土佐闘犬と並んで、ニュースなんかに時々報じられるものだから、周囲もそういう怖い犬だと刷り込まれているのかもしれません。また、どういうわけだか、実際にも「秋田犬に咬まれた」という思い出話をよく耳にします。思うに、秋田犬が人を咬む犬というわけではなく、犬ならどんな犬種だって咬まれるわけですが、小さい犬より大きい犬のほうが、傷も深いし大げさになり易いのではないでしょうか。こんな話も聞いたことがあります。
友達の家に行ったら、そこの家の小型犬がえらく興奮して吠えかかってきたそうです。小型犬ですから、家のなかで自由に放し飼いになっていたわけですが、そいつがヒョイと襲いかかってきて、足をパクリとやったからたまらない。たちまちズボンに血が滲み出しました。おまけに、ふいと見れば、犬はクチャクチャと口を動かしています。
「オイオイ、こいつ俺の足の肉を食いちぎったようじゃないか!」
咬まれたほうは真っ青ですが、傷口が小さいこともあって、笑い話になってしまったという話です。これが大型犬であったら、一咬みで大変な騒ぎになってしまうでしょう。だから、大きい犬は不利なのです。
犬に咬まれた人は、たいてい犬嫌いになるといいます。それも、子供の頃にやられた場合に多いようです。子供にしてみれば、柴犬くらいの大きさだって、充分大きく感じるでしょうし、咬まれる痛さに加えて、「獣」に襲いかかられる恐怖というのは、そうとうなものです。実は、自分にも子供の頃、犬に咬まれた記憶があります。確か、四つか五つの頃でしょう。そんな小さな時分でも、あの時の印象は、ようく覚えているから不思議です。「犬」というものを意識した、あるいは最初の出来事かもしれません。これだけ印象深くても、私は犬嫌いにはなりませんでした。というのも、犬の怖さを思い知った出来事としてではなく、私の頭に残ったからです。
そこの家は、「水道屋」と呼ばれていました。水道の工事や修理をやっていたので、こう呼ばれていたんでしょう。垣根を抜けると広い庭があって、その奥に自宅があり、納屋が仕事場になっていたように記憶していますが、何分小さな頃のことだから、細かいことは忘れてしまいました。
庭に犬小屋があって、その傍らに犬がつながれていました。確か、くすんだような、あまり清潔そうには見えない犬で、日本犬系統の雑種であったかと思います。
私は、よくこの家へ連れられてきました。というのも、ここへはしょっちゅう祖父が入り浸っていたからで、母が私を連れて迎えに来ていたのです。子供ですから、難しいことはなんにも分りませんが、どういうわけだか、母が不機嫌そうなのは察しがつきました。祖父が遊びにくる理由は、ここの女隠居が目当てで、それは単なる茶飲み友達……というには、あまりにも親しい間柄でありました。どちらもつれあいを失くしていて、思えば老いらくのナントヤラ…であったのでしょうが、今よりもずっと、まだまだ古い考えがまかり通る頃でもありましたし、田舎でもあったから風聞は忽ち広まるし、ましてよろしくないのは、随分祖父が金銭的にも相手へ入れあげていたことでありました。
その日も、祖父を迎えに、ムッツリ顔の母と水道屋を訪ねました。私は丁度、買ってもらった食べ物を持っていたもんですから、
「わんちゃん、食べな」
と犬ころに手を差し出したからいけない。物凄い勢いで、パクリと手ごと食いつかれ、びっくりしてワッと火がついたように泣きました。
幸い、手が口に入って、軽く歯があたっただけだったのでしょう、大した怪我にはならなかったよう記憶しておりますが、犬に食いつかれた驚きで、自分はワアワア泣いたのです。自分でも、犬にやられたバツの悪さがあって、それをごまかすには泣くという他手段のない年頃です。だれかに、慰めてもらわねば、引っ込みがつかない心境でした。
けたたましい私の泣き声に、家の中から主人や祖父に女隠居も飛び出してきました。そして、祖父はその場のいきさつを母から聞くなり、
「馬鹿め、犬になんかものをくれようとするからいけねえんだ」
と、逆に叱られたからたまりません。そして、余計な面倒を起こした、とでも言わんばかりの顔で、私にはちっともかまいつけてくれないのです。
幼な心に、「世の中とは、こういうものか」と変な失望と諦めを、悟りのように感じたのを、今でもよく覚えております。
母も、この出来事は忘れられないらしく、女隠居のこととなると、その時の祖父の態度など引き合いに出して、愚痴をこぼしたものでした。私はそれ以来、もうその家の犬を構わないようになりましたし、水道屋へもだんだんついて行かぬようにもなりました。そして、「犬は、あまり構わぬほうがいいらしい」という、ちょっとした教訓が後に残りました。
あの犬も、今になりますと、あれからお叱りを受けなかったのか、叱られなかったならよいが、と思います。いつ頃、死んでしまったのでしょう、気がついた時には、もう水道屋から姿を消していました。女隠居は祖父よりも先にあの世とやらへ旅立って、私が高校にあがる時分には、水道屋さえも何処へ行ったのやら、もう跡形もなくなって、しばらくすると、新しい家が建って別の人が住み着き、昔の面影はすっかり消えてしまいました。それでも、時々前の道を通ると、ふいと覗き込んでしまいます。そして一瞬、かつてそこにあった風景やら、人やら、犬に咬まれた記憶が、風のように過ぎります。あの頃の断片をつなぎとめているのは、もう色褪せて、ガタガタに壊れた自動販売機の残骸ばかりです。
利巧な犬
その一、そいつあ狂犬だ
祖父は昔から犬が好きであったようで、何度か飼ったことがあるようです。けれど、私はそういう犬の話をほとんど知りません。犬どころではない、祖父という人は前歴について多くを語らぬ人であったようです。だから、娘でありながら、母も昔のことはよく知らぬようでした。父方の祖父の顔すら見たことがなく、ただ一度だけ兄さんという人が訪ねてきたことがあったそうです。それは、祖父が鉄道の運転手となって、社宅で世帯を持っていた頃のことでした。祖父はなんでも七人だかの兄弟の末っ子で、一番上の兄さんとは、ずいぶん年が離れていました。祖父が死んだ後、機会があって戸籍を見せてもらったことがありますが、確か祖父は兄さんの養子の扱いになっていたという話です。「なんと読むのか分らぬ」実に難しい字が名前になっていました。
祖父の思い出話となると、戦後のことしか語れる者がありませんから、それ以前の話というのは、ほとんど伝わっていません。ただ、私は一度だけ関東大震災の話を聞いたことがあります。けれど、なんとしたことでしょう、当時の自分は適当に聞き流してしまったのですから、まったく惜しいことをしたものです。
その点、兄なぞは祖父によくなついていて、軍艦や鉄道模型をこさえるのが大好きな少年でありましたから、昔のことも真面目に聞いていました。祖父は横浜に生まれて、横須賀方面で働いておりましたから、当時の軍港の様子や、戦艦「長門」の入港する姿なぞを教えてくれたそうです。今思えば、祖父は「モボ」というやつだったのでしょう、年をとってもハイカラな、田舎には珍しい品のあるじいさんでした。おまけに当時の日本人としては背も高く、顔立ちもキリリとした男前で、晩年でもブレスレットなぞはめたり、背広を着て外出するような洒落者でありました。腰もさほど曲がらず、杖こそついていましたが、これがステッキという風で、シャッポも好んで被っておりました。
こういう人だから、女性のことでは、なんだか色々あったらしい……。しかしまた一方で、祖父はずいぶん女運のない人であったのでしょう。その生涯に、連れそう女房には二度も先立たれ、老いらくの相手にさえも置いてけぼりにされてしまったのですから。
なんでもこの話は、祖父が鉄道職について、石灰が取れることで有名なKの山に暮らしていた頃のことだといいます。
その頃、祖父は一匹の犬を飼っておりました。どんな犬だとか、名前はなんだとか、そんなことはまるで分りません。ただ、非常に利巧な犬であったといいます。そして、利巧な犬であったからこそ、その存在が記憶されていたのでしょう。私は、はっきり同一の犬とは聞かされていないが、どうも時期的に考えて同じ犬の話だろうと思われる逸話を、二つほど知っています。
ある時、この利巧な犬が、人を――それも小さな子供を、咬んでしまったというから大変です。子供の家では、カンカンに怒って、やれ狂犬だの医者代だのと大騒ぎをしたそうです。どうして、利巧だという犬が、子供を咬んでしまったのでしょうか。それには、やはり訳があったのです。
咬まれた子供は、犬がエサを食べていると側へやってきては、ちょっかいを出していたというのです。イタズラされても、犬はじっと辛抱していたのですが、とうとうガブリとやってしまう日が来ました。けれど、どんな理由があったって、犬が人間様を咬めば、問答無用なのが世の中というものです。利巧な犬は、忽ち狂犬呼ばわりされてしまいました。
「あんたんとこの犬に咬まれた。早く処分してしまえ」
子供の父親は、こういって祖父を責めたてたそうです。普段は至って温厚の祖父でありましたが、これにはカチンと頭にきたようで、
「うちの犬は、ちゃんと予防の注射も打ってる。そんなに言うならいい。医者代を出すから、医者がもう来なくって良いと言うまで連れてってやれ」
戦争が終わって間もない頃ですし、祖父だってしがない鉄道員です。毎日の医者代を出すなんて、余程大変だったに違いありません。けれど、一徹なところもある祖父でしたから、本当に約束通り、毎日毎日子供が医者へ通うお金を出してやりました。しまいには、向こうのほうできまり悪くなって、「もう出さないでいいよ」と謝ってきました。けれど、一度言ったことだからと、とうとう傷がすっかり治るまで、お金は送り届けられたという話です。
この利巧な犬が、もし処分されていたら、次の話はなかったのでしょうが…。
その二、逢いたさ見たさに
K山で暮らしていた祖父一家にも、短い間に色々なことがありました。つれあいを亡くして、新しいおかみさんを貰いました。(これが、私の祖母です。)そして、間もなく別の場所へ移り住むことになりました。K山とは、今なら自動車で一時間くらいの距離ですが、当時は山を越えなくてはならない、おとなりの県にある街です。そこでは、また狭い鉄道会社の社宅に住まねばなりません。事情があって、犬は他所の家に貰ってもらうことになりました。
犬と別れるのは、だれだってさびしいものです。なかでも、非常に別れを惜しんだのが、祖父の三番目の娘――伯母でした。どういうわけか、犬も一番伯母になついていたそうで、やはり可愛がってくれる相手が分ったのでしょう。
かくして住み慣れた土地を後にした一家です。新しい街では、新しい生活が待っていました。
さて、れいの伯母ですが、この人はあまり体が頑丈ではありません。時々熱を出しては、寝込むことがありました。不思議なことは、こういう時に起こったのです。
「あっ、犬が来ている!」
びっくりするではありませんか。あの、山に残したはずの犬が、ちゃあんとやって来ているのです。マボロシではない、夢でもない。本当に、そこへ来ているのです。
これには、家の連中も目を見張りました。
「どうやって来たのだろう」
「よくもまあ、あんな遠いところから」
家族を慕って、暗い夜道も、急な山路も厭わずに訪ねてきたのですから、いじらしいものです。けれど、もう他所の家へくれた犬です。うちで食べ物など与えては、居ついてしまうに違いない。そう思った祖母は、
「おめえは、もうよその犬になったんだから、早くうちへ帰んな。あの子のことは、心配いらねんだから」
と、言ってきかしたそうです。犬は、言われた言葉が分ったのでしょうか、伯母の様子を見て、安心したように山へと帰っていったそうです。
こういうことが、それから何度も続きました。決まって、伯母の具合が悪い時に、まるで知らせを受けたかのようにやってくるのです。
そして、その度に、伯母が元気なのを見届けて、ものも食べずに帰って行きました。
その犬が、それからどうなったのか、残念ながら分りません。全ては記憶のなかで、忘却というヒダに覆われて、ただこんな犬がいたということだけ、時折人の口の端にのぼりました。
さみしがりやのリリーちゃん
「はる、ちょっと来てみな」
母に呼ばれて、表へ出て行ってみると、闇のなかから、ふわっと白いものが、足にまとわりついてきました。
「あっ、リリーちゃんかあ」
私は、そのフワフワした白いのの、頭をなぜてやりました。うれしそうに、尾っぽがひらひら揺れて、甘えるように体をこすりつけてきます。
それは、おとなりに飼われている、リリーちゃんという犬でした。白い毛皮のムク犬です。どういうわけだか、私にとてもなついておりました。
「おとなりは留守なんだよ。それで、さみしくってうちに来たんだね」
確かに、となりには灯もついておらず、しいんと静まり返って、いかにもさみしそうです。
「さあ、もうじき帰ってくるだろうから、うちへ帰ってな」
母に言われて、間もなくリリーちゃんは、影のなかをさくさく帰って行きました。
リリーちゃんは、いつだってこうです。家族中が出かけて、遅くなっても帰らないと、さみしくなって、うちへやってくるのです。そして、ちょっと構ってもらうと、満足して帰るのです。私は、リリーちゃんが逢いにきてくれるのが、信頼されているようで、とてもうれしく思ったものでした。
私が遊びにいくと、もうすぐに立ち上がって、おっぽをふってくれたリリーちゃん。私はリリーちゃんが大好きでしたし、きっとリリーちゃんも私を好いてくれていたでしょう。大切なお友達のひとりでした。
けれど、私がどんどん大きくなると、おとなりへ遊びに行くこともほとんどなくなり、リリーちゃんと逢うきっかけがありませんでした。そして、いつ頃だか、リリーちゃんは名前を「花子」に改めたのだと聞きました。
花子だなんて。私は、リリーちゃんのほうが良いのに、と思いました。だって、とってもハイカラで、外国のお嬢さんの名前みたいで、名前もお気に入りの理由のひとつだったのです。
だから、母なんぞが「ハナちゃん」と呼んでいても、私には相変わらずリリーちゃんでありました。
私がだいぶ大きくなったとき、ふいにリリーちゃんのことを思いだして、
「どうしているだろう。もう、そろそろ歳だろうな。逢っておきたいものだな。きっと、リリーちゃんも喜んでくれるだろうが……」
と、気になって仕方無いことがありました。けれども、人間とは薄情なものです。重ねていく毎日のほうが忙しくて、またすぐに忘れてしまいました。そして、次に思い出したときには、もういつのまにか、いなくなっていたのです。
今でも、「ああ、最後に逢っておきたかった」と悔やまれます。さみしがりやのリリーちゃん、行ってやれずにごめんなさい。
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