「化けの皮がはがれた話」恭子さん




挿絵







私の生家は商いをしていた。
特に決まった休みはなく年中無休の小売業で、間口は広く、客だけでなく、おしゃべりに来るおばちゃんも多かったし、結構流しの物売りも来た。
お百姓さんが農閑期に作ったわらじを持ってきたり、倒産したから助けると思って一枚でも二枚でも毛布を買ってくれと言ってくるおじさんとか。
毛布はどこにあるのかと母が聞くと、ずーーっと向こうに何やら荷物を積んだらしきリヤカー(さすがに大八車ではないが、今の人にはわかるだろうか?)が置いてあって人だかりがしている。
「あのへんの人がかなり買ってくれているので、今積み下ろしをやってる。時間がかかるので行って持ってくるから、何枚いりますか?」
一緒にいたばあちゃんが私に「ほしいか?」と聞く。
私は「うん」と言う。
「もとは進駐軍の払い下げ品だからね、ものはいいよ」とおじさんは言い、私に「お嬢ちゃん、冬でも毛布一枚でいいんだよ、おふとんなんかいらないくらいあったかいんだよー」とけしかける。
その頃のふとんは重くて重くて仕方のない代物だから、ばあちゃんの気持ちがこの瞬間にふいと動いたらしい。
おじさんは心配そうにリヤカーの方を見やり「だいぶ売れてるみたいだね」とつぶやく。
「とりあえず一枚見本に持って来てよ」ばあちゃんがお金を出そうとするのを制して母が言う。
「私は雇い人だからお金と引き換えでないと持ってこれないんですよ」
そうこうしているうちに、うちにもお客がやってくる。
母が少し先の人だかりのことをそのお客さんに聞いた。
「あれは何か知ってる?」
「なんか倒産品の毛布らしいわよ」とお客さんが教えてくれる。
「早くしないと…」またおじさんがつぶやく。「気に入らなければお金はお返ししますよ」
ばあちゃんはついにお金を出した。
おじさんは走っていった。
店には立て続けに客が来た。
ばあちゃんも客の応対にまわり、私は200メートルほど先の人だかりをぼんやり見ていた。
おじさんは戻ってこなかった。
お客がとぎれたところで、ばあちゃんは私をつれて毛布を見に行った。
おじさんの言うほど毛布は売れてなくて、倒産したというのは本当らしかったが、汗だくで売り込みをしている男の人はばあちゃんからお金を持っていった人とは別人だった。
どうやらその場を通りかかって詐欺を思いついた人間がいたらしい。
店をほったらかして品物を確かめに出かけていけないうちの事情につけこんだようだ。
ある日「犬はいらんかね?」と言う人が来た。
昔は泥棒が多かったので、犬は番犬として外飼いが普通だった。
現在の窃盗犯はたいてい現金ねらいだそうだが、私の小さい頃はものが不足していたので、仕入れた品物をごっそり盗まれるということがよくあった。
唐草模様の大風呂敷にほっかむりという絵が泥棒のスタンダードだけれども、お宝でなくとも日用品だって狙われた。
うちへ入った泥棒が、風呂敷に包むほど盗むものがなかったのか、風呂敷を残していったことがある。
大きいけれどもツギがあたって、布地は相当くたびれて、盗みだす途中で破れてしまいそうな代物だった。
盗むほうも盗まれるほうも貧しい時代の貧しい町だった。
ところで犬屋は案外来た。
その頃大きい犬はステータスで、秋田犬はステータス中のステータスだったそうだ。
父はジャーマンシェパードが好きで、何回か買ったことがあるらしく、2歳くらいの私が木馬のかわりにシェパードにまたがっている写真が残っている。
もっともシェパードは総じておなかが弱く、長生きするのはいなかったようだ。
母は懲りたとみえて、その時はもう家に犬はいなかった。
父の趣味は伝書鳩の方に移っていた。
しかしころころとした子犬を見せられて、母は買った。
「血統書は飼主さんのお名前を入れて後で届けます」
「はいはい、よろしくお願いします」
生粋のジャーマンシェパードの子だというその仔犬は「ジロー」と名づけられた。
私がまたがっていたシェパードはタローといって、3匹の中では一番長生きしたそうなので、順当な名づけだったのかもしれない。
小学生になっていた私は「純粋なジャーマンシェパード」というふれこみに酔いしれていた。
近所の久美ちゃんとこの犬はスピッツでキャンキャンとうるさいし、みっちゃんとこの犬は柴系のみるからに「貧相(ごめんよ)」な茶色のヤツだった。
時々みっちゃんのお父さんの農機具を積んだリヤカーの脇にくくりつけられて、あばら骨を浮き出させてリヤカーを引かされていた。
時々おじさんは犬をぶった。
長い舌をいっぱいに出してあえぐように坂をのぼってくる様子は、見栄っ張りの私に「うちのジロちゃんとは身分が違う」という意識をもたせるに十分だった。
もともとみっちゃんとは幼稚園から張り合う仲だったので、私は彼女の前でことさらに「血統書付のシェパード」の話をした。
学校の友達は大勢ジローを見に来た。
「へぇ、これがシェパードかぁ!」とみんなうらやましがる。
テレビで「名犬リンチンチン」なんてのをやっていたが、まだ町内でテレビのある家が我が家くらいだったので、シェパードの賢さ、走る姿の美しさ速さ、ジローの未来の姿がどのようであるか、私はテレビで見るシェパードとジローをいっしょくたにして、学校友達に吹聴しまくった。
ジローはすくすくと育った。
小学校はかなり急な坂を下ったところにある。
「速い速い!」私は、学校が終わってランドセルを背負って登ってきた坂を、今度はころがるように犬にひっぱられて下る。
私や(特に)久美ちゃんをしょっちゅう苛めていた暴れん坊のH君は、犬と一緒の時には現れなかった。
久美ちゃんは家にスピッツがいるわりには犬が嫌いだった。
咬まれたことがあるそうで、犬のそばには寄らないと言っていた。
スピッツも庭先につながれたままで、当時散歩をしてもらっていた記憶がない。
私はジローをひけらかすことばかりに熱中していたので、久美ちゃんとこのスピッツがどんな名前だったのか、どんな飼われ方をしていたのか、全然気にもしていなかった。
また、久美ちゃんもおとなしい子で、私がまくしたてることに「いいわね」と相槌をうつばかりで、しゃがんでジローを見つめるのだが、必ず手を後ろに組んで自分の家の犬のことなどほとんどしゃべらなかった。
春には狂犬病の予防注射がある。
場所は毎年小学校である。
母がジローを連れて(今から思えばちょっと小さめではあった)列に並んだ後ろに私も並んで母に聞いた。
「ねぇ、この後ジローと遊びに行っていい?」
「だめ」教育ママの母は、学齢があがるに連れて勉強、勉強とうるさくなっていた。
ジローはおとなしく注射をされ、注射済みの証票をもらう。
獣医さんがノートのようなものに、何やら書き込む。
母が聞いた「先生、この『Z』はなんですか?
のそきこむと、父の名前、住所があり「ジロー 黒ゴマZ(ゼット)」と書かれてある。
獣医さんはこともなげに言った。「ああ、雑種のZです」
ざっしゅ!
いやぁ、ねぇ、テレビがモノクロでなければ、と私はあの頃の自分をかばいつつ思う。
背中の黒い毛や鼻が長いところはシェパードそっくりだった。
しかしそういわれれば背中の黒い部分はちょっと少なかったかもしれないし、黒い部分が他にもとびとびにあり、他の毛色はいくぶん灰色がかっていたように思う。
母は夕御飯時簡単に「まただまされたわ」と父に話した。
父は尾の形や毛色、体高からシェパードではないということはわかっていたようである。
「だろうな」と言っただけだった。
私もだまっていた。
頭の中はあれだけジローを「純粋のシェパード」と吹聴してしまった後始末をどうしようかと、それだけでいっぱいだった。
生活に忙しい親は、娘がシェパードが自慢で自慢で連れ歩いているとは知らずにいたし、私もいまさらみっちゃんに「うちのは雑種だった」とは言えなかった。
現金なことに私はジローの散歩をぷっつりやめた。
母は店が終わってから、ジローの散歩に出かけるはめになり、たまに散歩をいいつけられる時には弟に押し付けた。
教育ママの母がいつまでも田舎の学校で暢気にしていてはいけないと言い出し、ちょうど学校を替わる話が持ち上がったのを機に、私もくみちゃんやみっちゃんと遊ばなくなった。
散歩には行かないが、ご飯係はずっと私だった。
それなのに私はジローに噛まれたことがある。
何が気に入らなかったのか、ジローはもう老犬になっていたが、学校へ行く前にご飯を持って行ってやった私の腕にガブリとやってくれた。
「おかあさん!ジローが噛んだー!」
傷口を押さえたタオルにみるみる血が滲む。
「犬なんかにかまけているからだわ!早く学校へ行きなさい!」母の返事だった。
犬が噛んだことなどノープロブレムの親なのだった。
ジローは急速に弟の犬になっていき、自転車で走らせてもらい、夜はこっそり部屋にあげてもらっていたようだ。
夕ごはんを食べているとジローが台所の外でそわそわと歩き回る音が聞こえてくる。
「(弟が)そろそろ帰ってくるよ」とばあちゃんが言う。
それから1分もしないうちに、部活で遅くなった弟が店の裏の倉庫へ自転車を入れる音がし、「ただいま」と声がする。
犬に言っているのだ。
それからぶすっとした顔がのぞく。
母やばあちゃんが「おかえり」と言い、ぶすっとしたにきび面が「あー」と言う。
「挨拶せんか」と父に叱られて、聞こえるか聞こえないかの声で「ただいま」と言って、自分の部屋へ入ってしまう。
成績の悪い弟は、いつもいつも母にガミガミと怒られて口数が少なかった。
ジローは12年生きて、私たちが学校へ行っている間に死んだ。
食欲はずっと落ちなかったがどんどん痩せていった。
家人が寝静まった真夜中に、こっそり弟からラーメンや魚肉ソーセージをもらってもいたらしいのだが。
フィラリアだった。
墓穴は柿の木のたもとに弟が掘った。
長いこと泣いていたらしい。
母の話である。
そして私の腕にはジローの噛んだ痕が残っている。
「ボクはいたよ」と言っている。


挿絵




















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