ハチ公博物館便り
飾り


子供とハチ





○ハチ公便り(11月11日)

☆わんわん読書案内記

 山はいよいよ深く、夜はいよいよ長けていこうという此の頃。11月はワンワンと犬のなく月でもありますから、今回は秋の夜長のお供に最適な、犬の読書案内をしたいと思います。

「白い犬とワルツを」テリー・ケイ 兼武進・訳(新潮社)
 最愛の妻を失い、独りの生活がはじまった老人。娘や息子たちは彼を気遣ってあれこれ口出ししてくるが、老人は自身の生活と静かに向き合っている。こういう彼のもとへ、どこからか白い犬が迷い込んできた。ところがこの犬、不思議なことには、老人の前にしか姿を見せない。回りの者は、老人の幻覚ではないかとあやしみはじめるが……。はたして、白い犬は実在するのかしないのか?
 有名な作品で、映画にもなっているからご存知の方も多いことでしょう。実はわたしも、映画によってはじめて知った作品です。
 原作は米国の物語ですが、本国で映画化されているだけでなく、日本においてもリメイク作品が作られています。わたしが見たのはこの日本版ですが、エンディングに協力として日本犬保存会が記されていたのには驚きました。あの「白い犬」は、すると日本犬保存会が提供した犬であったのでしょうか。
 感想を言えば、映画(日本版)は美しいが、全体的に重たい。沈鬱であるよう思えました。ラストシーンは、個人的に好きになれません。これからご覧になる方のために、あまり詳しくは語れませんが、白い犬との別れかたが、せつな過ぎるというか、あの場所はいくらなんでもさみしいというか……。

 さて、原作のほうは、映画(日本版)に対して、ほのぼのと明るい。老人の独白交じりの文体で、日記や思い出が挿入され、より老人の内面が分り易くなっています。せつなくもあるけれど、決して重たいものではなく、なにかじんわりと温かい思いにさせてくれるのが原作です。そして、素晴らしいのはやはりラストの場面。是非、この感動を本書で味わってみてくださいね!

「仔犬のローヴァーの冒険」トールキン 山本史郎・役(原書房)
 トールキンといえば、「ホビット」や「指輪物語」のファンタジーで有名ですね。これは、犬が主人公のホビットのような冒険ファンタジーというのだから、なんとも嬉しい一冊。
 ローヴァーは、やんちゃでかわいい子犬。ところが、ふとしたことで魔法使いを怒らせて、おもちゃの犬にされちゃった!さあ大変。ローヴァーはたくさんの冒険を経験しながら、元の姿に戻ろうとします。

「ワンワンものがたり」千葉省三
 犬の物語っていえば、勇敢な犬が活躍したり、利巧な犬に感動をしたり……でも、このお話に登場するワンワンは、おねぼうで、くいしんぼうで、なまけもので……なんとも庶民的で愛らしいワンワンの、メルヘンでこっけいな物語。
 千葉省三は「村童もの」と呼ばれる郷土色あふれる作品で知られる童話作家です。でも、この「ワンワンものがたり」は作品の発表された大正時代の浪漫あふれるメルヘン作品に仕上がっています。現代では幼年童話に分類されており、ひらがなの多い文章になっていて、多少読みづらいかもしれませんが、読んでいる内に作品に引き込まれて気にならなくなります。少しだけ稲垣足穂の「一千一秒物語」を彷彿とさせるところもあります。

「盲人と子犬(寒い寒い晩、犬の母さんが、子犬たちに聞かせたおはなし)」千葉省三
 これも同じく千葉省三の作品で、初期のメルヘンタッチなお話。といっても、夢あふれるお話ではなく、せつなくかなしいお話。副題のように、お母さん犬が、子犬たちに語って聞かせるお話。




○ハチ公便り(9月20日)

訂正のお詫び
 「ハチ公講座」の第十四回「変わる東京に夢を追う」中に引用した白秋の詩、「金と銀との・・・」と書きましたが、正しくは「金と青との・・・」でありました。引用部分を原文通りに訂正したことをこの場にてお知らせするとともに、誤記のお詫びを申し上げます。(白秋の詩は暗記している「つもり」であったので詩集を見返さなかったのですが、今日ふいと間違いに気がついた次第です。やはり、ちゃんと確認しなくてはいけませんね。反省しております。すみません・・・。)
 尚、引用した詩は、「東京景物詩」中の「金と青との」という作品で、以下に全文を掲げます。

 金と青との愁夜曲(ノクチユルヌ)、
 春と夏との二重奏(ドウエツト)、
 わかい東京に江戸の唄、
 陰影(かげ)と光のわがこころ。

 集英社出版の「日本文学全集十九巻」解説において伊藤信吉が、『当時の東京は古い江戸と新東京との二重合奏』と書いている箇所がありますが、「金と青との」に描かれた東京とは、まさに若者にとっては夢と憧れの都でありました。草双紙の匂う江戸の風情も、新しき近代都市としての威容も、同じくらい若者たちには魅力的であったのです。そして、夢は様々な幻想へと姿を変え、絵画になり、詩になり、小説へと生まれて行きました。それが、いわゆる大正浪漫と呼ばれた時代でありました。
 大正時代は、年号上は十五年あるわけですが、時代の風潮としては、関東大震災をはさんで二分して考えられます。それは、日本の首都を襲った大災害によって、文化の転換が生じた為でした。「震災後」という名前と共に花開いたのは、軍国主義が台頭する嵐の前の、「昭和モダニズム」時代でありました。
 
 現代において、「戦前」と「戦後」が区別されるように、当時の人々にとっては、「震災前」というのは特別な時代でありました。それは、「古き良き時代」を意味することもありました。
 江戸の風情は消えて、重厚で壮麗な洋風から、瀟洒でモダンな洋風が好まれていく風潮、そして「エロ・グロ・ナンセンス」の流行語とともに、大胆で扇情的な感覚を人々が求めるようになったとき、日本の文化は確かに、「古き良きもの」を失ったのです。
 そうした文化の変遷のとき、東京へやってきたのが忠犬ハチ公であり、その純血な日本犬の血統とともに、殺伐とする現代へ、「人を信じ続ける純情」というものを人々に伝えたことは、なにか不思議な因縁を感じます。




○ハチ公便り(9月5日)

 「ただいま」
 と声をかければ、
「お帰り」
 と答えるように、激しくおっぽを振って、体中をすり寄せる――
 在りし日――大正13年から14年5月21日まで、渋谷駅にこの光景を見ることができたでしょう。そして、今も尚、世界中の色々な場所で、飼い主と愛犬のこうした微笑ましい習慣が繰り返されているのです。
 よく、ハチ公を生んだ秋田犬をはじめとして、日本犬は「忠犬」という代名詞で語られますが、しかし小野進さんが「全ての秋田犬がハチ公になるのではない。上野博士あってのハチ公である」といった意味の文章を記しているように、秋田犬だから、日本犬だから、飼い主に尽くすというのでは勿論ありません。そもそも、犬という動物は古くから「忠実」の象徴とされてきたのです。これは、洋の東西を問うものではありません。我々人間が犬と培ってきた歴史は、「主従」という関係にはじまるのですから。
 だから、ハチ公の「忠犬」という代名詞を、当時の世相とからませて、そこに軍事的な意図があったのではないかと取り沙汰もされますが、これはいささかうがち読みといったもの。確かに、国粋ブームが首をもたげていた時代であり、時を経るに従って、「忠君愛国」思想に関連づけられることもありはしたのですが、これはあくまで「結果」であり、最初からしくまれたことでないのは、証明する資料もあります。
 ハチ公が教科書に採用されたことに対し、「軍国教育」の一環と見るのが一般の見解になりつつありますが、決してそうではなくて、純粋な道徳教育であったと考えるのが、わたしは正しいように思います。そもそも、教科書の内容は至ってシンプルで、要約すれば、「飼い主にかわいがられた犬が、その主人の死も知らず駅頭で待ち続けていた」という簡単なもの。「恩ヲ忘レルナ」という題名から、「犬は恩返しをするものでなく、愛情による絆である」と非難も受けておりますが、これはあくまで物事の捉え方の違いなので、当時の人は単純に「恩返し」という言葉を使ったものだと思うのです。(「鶴の恩返し」や、浦島太郎の亀が恩返しするように、動物対人間の関係の場合、こう考えるのが妥当であったのでしょう。)
 だいいち、本当に「軍国思想」を植えつけるのが目的であるならば、軍用犬の美談を使ったほうが、余程効果的でありましょう。(実際に、教科書に採用された軍用犬美談がありますが。)ハチ公の場合、動物の純情さを通して、動物愛護の精神を訴えていたように思われます。教科書採用に先がけて刊行された、「忠犬ハチ公物語」という教育冊子がありますが、これには動物と人間との絆に重点を置いて書かれているのです。
 そもそも、ハチ公が教科書になったきっかけは、一般の人からの希望であったといいます。ハチ公の死を告げる昭和10年の「読売新聞」中に、文部省の加藤図書監修官が、次のように語っている記事があります。

「(略)ハチ公を教材としてとつたのは去る昭和八年文部省で修身教科書の資料を懸賞募集した際、ハチ公に関する二、三の文があつたので、それからヒントを得たものである、教材は現存の人物は採らない建前になつてゐるのでハチ公を入れる時は会議でも多少問題にはなつたがあまりに涙ぐましいいゝ話なのでたうとう採用することになつた(以下省略)」(「ハチ公文献集」より)

 犬であることが「例外」になったのでもありましょうが、本来の「建前」を飛び越してまで、教科書採用につながったことに、わたしはむしろ、当時の人々の「人情」を感じます。我々人間と犬という動物のつきあいは、とてもとても長いのです。人の心のよき郷愁を呼び覚ます、両者の「絆」は、いつの時代においても、感動を与えるものでありましょう。

 そう、いつの時代の、どこの国に於いても――
 「忠犬」はなにも、日本の産物に限るわけではありません。外国にも、たくさんの犬の物語が伝えられています。ハチ公がポチクラブの名誉会員に選ばれたとき、引き合いに出されていたのが、スコットランドのボビーという犬で、これは亡くなった主人の墓を守り続けた犬のお話です。
 また、先に軍用犬のことを書きましたが、主人である兵士を守ろうとして傷ついた犬や、負傷兵を救った犬などの哀話は尽きることがありません。
 なかには、必死にかばった主人が戦死してしまい、自身の傷は手当され回復を待つばかりであったのに、かなしみのあまり後を追うように死んでしまったという犬の話もあります。
 犬にとって――深く深く愛された犬にとって、愛してくれたその人を失うことは、世界の終わりを告げるほどに、悲しい悲しいことなのです。
 ハチ公の場合、はっきりと主人の死に立ち会ったわけでない彼にとっては、余計にあきらめきれなかったのでしょう。ずっと待っていれば、いつか帰ってきてくれるかもしれない――
 わたしは、「主人を待ち続ける犬」と聞いたとき、ハチ公とは別に、すぐさま思い出す犬があります。それは、元祖ハチ公ともいいたい、古代ギリシアの犬です。とはいっても、伝説上の犬なのですが、その名を「アルゴス」と申します・・・・・・。

 シュリーマン氏の発掘によって知られる、小アジアの古代都市トロイアは、有名なホメロスの叙事詩にその名を謳われております。世界一の美女ヘレネを巡って起きたというギリシアとトロイア国の戦争は、十年もの間繰り広げられたというのが神話上のお話ですが、この戦いでギリシア軍随一の知将と言われた、オデュッセウスという武将がありました。かの英雄が、祖国に帰還するのに十年間も漂流するという悲劇が同じくホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に語られています。
 戦に十年、復員までに十年、合せて二十年もの間国に帰らずにいたのですから、当然生きているものとは思われません。オデュッセウスが統治していたイタケ島では、妻子が帰りを今か今かと待ち続けておりましたが、多くの人々は、王の帰還に絶望していました。そして、近隣の国々から、オデュッセウスの美しい妃に再婚を迫ってくるようになりました。
 奥方はペネロペイアといって、貞淑なことと、賢いこと、また類いまれな美貌の持ち主として知られていました。求婚者たちは、彼女の器量と、それからオデュッセウスの遺した財産を目当てに、宮殿へと押しかけて、無法にも結婚を迫りました。夫が死んだとはどうしても思いたくないペネロペイアは、どんな男に対しても色よい返事を与えませんが、身分の高い相手へ無下に逆らうことも出来ません。
 奥方が返事を引き延ばすのを良いことに、求婚者たちは毎日王宮へ集っては、オデュッセウスの財産で宴会を開き、好き勝手な振る舞いをするようになりました。
 横暴を耐え忍ぶ家臣や島の民たちにとって、唯一の頼みの綱が、オデュッセウス王の帰還でありました。
 このせつなる願いが叶って、ようやく王の復員となるわけですが、しかしオデュッセウスは大手を振っての凱旋とはなりませんでした。それというのも、今や求婚者たちにとって、仇のように邪魔者であるオデュッセウスです。もし、彼がイタケ島へ帰ることがあれば、暗殺してやろうという策略が渦巻いていたのです。
 英雄の見方である戦の女神アテナの加護で、無事島へと帰り着いたオデュッセウスは、正体の知られぬようにと、女神の力によって、卑しい乞食の姿に変わっていました。  これでは、だれも彼だとは気がつくはずがありません。
 忠実な家臣も、息子や奥方でさえも、姿から見破ることは出来なかったのです。
 しかし、たったひとりだけ――いえ、たった「一匹」だけ、見抜いたものがいたのです。それこそが、オデュッセウスが仔犬の頃から可愛がっていた愛犬「アルゴス」でありました。
 乞食に身を変えたオデュッセウスは、かつての家臣であった豚飼いに連れられて、二十年ぶりに我が館へ到着しましたが、名目上は「物乞い」の為にやって来たという、なんとも哀れな「帰宅」でありました。だれひとり出迎える者も無いなか、むっくりと体を持ち上げて、じっと見入っている犬の姿が目に入りました。
 アルゴスです。
 もう、動くことも出来ないほど、衰えている老犬です。かつての凛々しい姿の面影もなくなって、やつれた体を、必死にもたげていました。
 犬には、かたちを変えていても、オデュッセウスであることがすぐに分りました。懐かしい主人に、やっと逢えたのです。どんなに、うれしかったことでしょう。冒頭にご紹介した光景のように、
「お帰りなさい!」
 と駆け寄り、思う存分甘えたかったに違いないのです。
 けれども、歳をとって弱ったアルゴスには、立ち上がる元気が残されていませんでした。彼は、遠くから甘えるように鼻を鳴らし、耳を下げ、ゆっくり、ゆっくりとおっぽを振りました。
 このいじらしい姿に、オデュッセウスも涙を堪えることができません。すぐにでも、犬の側へと行って、頭を撫ぜてやりたい思いを、歯を食いしばって押し止めました。今は、正体を隠さなくてはならない立場なのです。
 オデュッセウスは、豚飼いに向かって言いました。
「あそこの壁にもたれている犬だが、あれはきっと昔は、さぞ立派な犬であったのでしょうな!」
「そうだとも。アルゴスといって、オデュッセウス様がそれは可愛がっていたのだ。今では、だれも世話をする者もなくなり、老いぼれて見る影もなくなってしまったが、かつて狩のときには、先陣をきって素晴らしい働きをしたものであった!」
 懐かしい思い出とともに、豚飼いに伴われて館へと消えて行く主人を、アルゴスはいつまでも見送っておりましたが、その姿が見えなくなりますと、がっくりと力尽きて、長い生涯に幕を閉じました――。
 「オデュッセイア」物語のなかでも、ひときわ涙を誘う一場面です。
 ただ幸いなのは、死ぬ前に、一目主人と逢えたことでしょう・・・・・・。

 「ただいま」
 と呼べば、
「お帰り」
 と答えるように、おっぽを振る、当たり前の挨拶。
 犬と人の間に交わされる挨拶の、なんと尊く、美しいことでありましょうか。




○ハチ公便り(8月5日)

お知らせ
 今回新たに、「博物館のしおり」を設置しました。「ハチ公博物館」とは、どういう主旨のホームページであるかを解説しています。また、簡単なハチ公物語も掲載しております。
 また、「博物館のしおり」を英訳してくださる方を募集しています。英語がお得意な方のご協力をお待ちしております。ご連絡は、掲示板かメールでお気軽にどうぞ。
(また、英訳以外の翻訳も歓迎いたします。)


 暑い日々が続いておりますが、みなさま如何お過ごしでしょうか。
 夏は、我々人間だけでなく、犬にとっても大変な季節です。
 仕事で、ほうぼうのお宅を訪問しておりますと、この季節はどこのお家でも、犬たちのぐったりしている姿が目につきます。穴を掘って、中にすっぽり入った犬。犬小屋の中で、仰向けになって寝ている犬。まさに、百態です。普段なら、けたたましく吠えるというのに、この暑さにはそっぽをむいて、あたかも「只今番犬休業中」と札を出しているような子もおり、おかしくなってしまいます。
 しかし、ご当人(犬?)には笑い事ではありません。すだれをかけて貰って、お水も並々と用意されている犬を見ると、こちらもほっといたします。
 さて、犬にとって夏の厄介なことは、「暑さ」ばかりではありません。中には平気だという子もおりましょうが、多くの犬たちから嫌がられる夏の風物詩に、「雷」と「花火」があります。

 我らが忠犬ハチ公も、ご他聞に漏れず、この二つが大嫌いでありました。
 ハチ公は、大きな音が苦手であったようで、子犬の頃はおもちゃの鉄砲にも驚いたといいます。雷ときたら、もう大の苦手で、ごろごろ鳴り出そうものなら、慌ててお家のなかに飛び込み、ぶるぶる震えていたそうです。
 ある晩などは、大変な嵐で、雨は叩きつけるように激しく、雷は天も裂けよとばかりにとどろき、ハチはお縁の下に隠れて、震えていました。この時、扉が開いて、上野博士が表にやってきました。朝顔の鉢が、雨に濡れてしまわぬよう、軒の下に運びはじめたのです。
 ハチ公は、これ幸いと開いた扉からお家へと上がりこみ、鉢植えが片付け終わった博士に、甘えてすり寄りました。
「おお、ハチ。ピカピカが怖いんだな。よしよし、今日は寝室の前で寝なさい」
 と、優しく博士は労わってくれました。
 雷が怖い晩も、博士がハチを守ってくれました。ある時は、代々木練兵場の銃声に驚いて駆け出し、行方不明になってしまったこともありましたが、そのときも上野博士が探しにきてくれたのでした。
 ハチには、優しいだけでなく、自分を守ってくれる頼もしいお父さんであった、上野博士です。
 その博士とも別れて、他所のおうちの子となったハチ公ですが、最後の住処となった小林さんのお家では、大勢の家族が、ハチ公をあたたかく見守ってくれました。
 小林さんのうちの、奥の八畳は子供部屋になっていて、押入れにはチャンバラであけた穴がいくつもありましたが、なかでもひときわ大きな穴があいていました。
これは、雷が鳴ったとき、ハチが飛び込んできて、出来た穴です。「ハチ公文献集」には、小林さんのご子息である貞男さんの書いた、自宅の間取りが収められていますが、押入れには「ハチ公の避難場所」と注釈がつけられています。




○ハチ公便り(7月3日)

 7月になりました。
5月、6月と更新が滞りがちになり、また、予告ばかりでなかなか発表のできない資料についても、大変申し訳なく思っております。
 どうも此の頃仕事のほうが忙しくなってしまい、じっくりと制作に向き合うことが出来ませんでした。

 今、秋田犬の減少が話題となっております。
 先日のFMラジオ放送でも、秋田犬についての特集がありましたが、そのなかで秋田犬保存会埼玉支部の方が、どうして減少傾向にあるのかをお話していらっしゃいました。
 理由のひとつとしてあげられたのが、「悪いイメージ」です。
 秋田犬に限らず、大型犬の場合、どうしてもイメージばかりが先走ってしまうものです。
 秋田犬の減少や、ハリウッドのハチ公映画化など、様々な話題の飛び交う今、多くの人に「秋田犬とは、どのような犬であるか」を、広く知って貰うことが必要であるかもしれません。
 やはり以前にも秋田犬の減少がニュースになったとき、なかには心無い報道をする所もありました。こうした日本固有種の犬がいる、ということを今こそ広く知ってもらうべき時であるのに、「悪いイメージ」ばかりを集め、だから減っているのだと結論づけるような向きさえありました。
 大型犬と暮らしている方は、ときにこうした偏見とぶつかり、日常生活で嫌な思いをしたこともおありでしょう。

 実は忠犬ハチ公も、大型犬ゆえの苦労をしたことがありました。
 上野家離散の後、浅草の親類のもとへ身を寄せていたハチ公は、近所の人々から誤解を受けるようになります。当時としては、純血種の犬が高価であったこともあって妬まれたり、大きいというだけで、他の犬に悪さをするようにも思われてしまったのです。

 また、浅草を去り、植木屋小林さんの元に引き取られてからも、こんなことがあったそうです。
 菊三郎さんの弟、友吉さんは、よくハチ公の散歩をしてくれました。ある時、散歩中に綱(現在のリード)をつけずに大きな犬を連れている女の人と出会いました。犬は突然ハチを威嚇し、飛び掛ってきたのです。
 あわや、と思ったとき、ハチ公は素早く相手の顎をくわえて引き倒し、立ち上がろうとする犬を、じっと見ていたといいます。
 これに、女の人はカンカンに怒って文句を言いましたが、友吉さんは、こちらはちゃんとつないでいると言い返したのだと、友吉さん自身が後に思い出を語っておられます。
 いつの時代にも、同じようなトラブルはあるものです。

 自分自身も、偏見にさらされたハチ公ではありますが、有名になるにつれて、今度は秋田犬のイメージアップに貢献しました。闘犬として名の高かった秋田犬に、おとなしくて賢く、飼い主思いであるというまさに「忠犬」のイメージが加わったのです。「JKC50年史」のなかで、ハチ公は秋田犬の知名度をあげたが、飼育増加にはつながらなかった、というように記していますが、これは数字のみをみた考えといえます。
 実際には、ハチ公人気から、秋田犬を飼育したいという人が増えだし、産地大館には、問い合わせが殺到したのだという当時の記録があります。成犬は千円、子犬でも五百円という値段で取引されていたようです。
 ところが、秋田犬はこれから大いに数を増やし、血統を安定させていかねばならない、保存運動の真っ只中。欲しくても手に入らない、というのが現実であったようです。
 ハチ公ファンの小野進さんは、この秋田犬ブームを苦々しく思っていたようで、天然記念物であることに対する、人々の認識の薄さを嘆き、全ての秋田犬がハチ公になるのではなく、上野先生、つまり良き主人あっての忠犬であることを書物に記しています。  減りすぎてはいけない、しかし一時的な流行もよくない、現代においても、考えさせられる問題です。

 大切なことは、まずは知ってもらうこと。正しい知識を広めて、人々の認識を改めることではないでしょうか。
 それは、秋田犬ばかりでなく、日本犬にしても、ハチ公にしても――。




○ハチ公便り(6月17日)

 ゲストブック(掲示板)に合言葉を設置しました。
 ご面倒ですが、書き込みの際は、合言葉に「 akitainu 」と入力してください。
 しばらく様子を見て、場合によっては元に戻すこともあります。
 どうか皆さま、お気軽に書き込んでくださいますと、うれしい限りです。




○ハチ公便り(6月3日)

 今回は、ハチ公のふるさと大館から、ハチ公に関するエピソードを集めた千葉雄さんの本をご紹介いたします。

 現代に受け継がれるハチ公の心


☆追記(6月8日)  「ハチ公講座」の更新が現在滞っておりまして申し訳ありません。資料整理の為に作業が中断しておりました。出来上がり次第アップしますので、今しばらくお待ちください。




○ハチ公便り(5月5日)

 つつじの花が鮮やかな季節になりました。五月の連休も残りわずかとなりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。筆者は連休とは無縁ですので、次の公休が待ち遠しいものです。
 さて、先月半ばから、更新が遅れがちでありましたこと、お詫び申し上げます。
少し体調を崩しておりましたのと、月末から仕事が多忙でありましたので、なかなか執筆の時間が得られずにいた次第です。近い内に、更新をする予定ですので、もう少しお待ちくださいますよう、お願いいたします。
 ハチ公博物館開館から、早いもので二ヶ月経ちました。
 まだ、あちこち整理のついていないところも多く、心苦しく思っております。
 資料を整理したり、裏づけをとったりしておりますと、なかなか先へ進まないものです。面白いように、とんとんと資料が揃うこともあれば、なかなか必要な資料に巡り会えず煩悶することもあり、こういうときは、じっと待つほかありません。
 ハチ公資料などの更新は、気長にお持ちいただけたらと思います。資料とは別に、気軽にお楽しみいただけるような読み物なども考案しておりますので、どうぞ今後とも変わらぬご愛顧のほどお願い申し上げます。
 特集「ハチ公と秋田犬」関連の読み物は、現在執筆中です。完成の際は、こちらにて公開する予定です。
 以上、中間報告でありました。




○ハチ公便り(4月11日)

 「忠犬ハチ公博物館」も、開館から一ヶ月を過ぎました。皆さまからいただくはげましの声には、とても勇気づけられております。ここに改めてお礼申し上げます。
 多くのひとに愛されるハチ公――彼に関する情報は、新旧無数にあります。
 当館では、新たな情報の発信よりも、既存の説を考証し整理することに重点を置いております。気になるハチ公の、あの説、この噂、どれが本当なのか。氾濫するハチ公の情報を、一本にまとめてゆきたいと思っております。
 今回よりお送りする「館内便り」では、今後の更新予定や、近日公開予定のコンテンツなどをお知らせしていこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

特集「ハチ公と秋田犬」――何故、ハチ公は秋田犬でなくてはならないのか?ハリウッドの映画化を記念して、ハチ公と秋田犬の関係をふり返ってみよう。
○企画展のお知らせ

 今、忠犬ハチ公のハリウッド映画化が話題を呼んでおります。
 秋田犬愛好家には、出演する「ハチ公」の犬種が気になるところ。秋田犬は使わないらしい……という噂がありましたが、どうやら原作通りの秋田犬が出演することに決まったようであります。
 さて、どのようなアメリカ版ハチ公が作られるのでしょうか。不安と期待が交じり合いますが、これを機会に、ハチ公を「秋田犬」という観点からアプローチしてみたいと思います。

○異説ハチ公の徹底考証

 実は、ハチ公は秋田犬ではなかった……こういう異説も存在します。
 秋田犬は当時雑種化していたので、純種は存在しなかったとか、あるいはハチ公は秋田生まれでさえないのだ、という説も耳にします。
 わたしがなによりも考証に力を注いだのは、「作られた美談説(やきとり目当て・軍国主義利用など)」と並んで、この「ハチ公血統異聞」でありました。
 秋田犬を愛好する者には、「ハチ公は秋田犬であったのか」という問題は大きなものです。それは、セントバナードを愛する人にとっての「バリー」号や、コリー愛好家の「ラッシー」物語と同じことでしょう。自分の愛する犬種が生んだ「名犬」とは、思い入れが深いものです。「誇り」を感じたり、「理想の姿」を投影したりするものです。
 そして、その血統が正しく伝わらないということほど、かなしいことはありません。ハチ公は生きていたころからも、度々純種を疑われる憂き目にあいました。その度に、ハチ公の発見者であり日本犬保存会創設者の斎藤弘吉さんは、訂正し続けました。
 ところが、昭和も五十八年になって、突如「ハチ公は東京生まれ、私が飼っていた犬」と発言する人までが現れ、渋谷駅では困ってしまいました。関係者のほとんどはすでに亡くなっており、もはや何が真実なのか、見極めようがなかったのです。その当時の渋谷駅長は、「資料は当時の人がハチ公を美化して作ったのかもしれないし、あるいは二匹いてどちらかが早世したのではないか」と言葉を濁したといいます。
 さて、ハチ公は秋田犬なのか、そうでないのか。
 大館生まれなのか、東京生まれなのか。
 いまだに疑惑を呼ぶハチ公の血統ですが、実はすべてのいきさつを原点から調べあげた、貴重な論文があるのをご存知ですか?
 論文は、「異説ハチ公」より八年も早くに発表されました。これは、ハチ公を上野先生へ送る手続きをした栗田さんの証言をもとに、栗田さんが大館に在勤していた期間、ハチ公生家斉藤家とのつながり、また同家と交わされた手紙などを、徹底調査したもので、ハチ公の「出所」をあきらかにしています。
 ところが、惜しいことに、一般の人の目に触れず、今となっては発表誌も得難くなってしまった為に、貴重な研究が広く知られていないのです。
 この、興味深い論文については、ハチ公に対する「疑問点」を整理しまとめた論考のなかでご紹介させていただきます。本来なら、公開に間に合うよう論考を執筆するつもりでしたが、公開準備に追われ、大幅に完成が遅れてしまいました。今回の特集「ハチ公と秋田犬」で、論考のお目見えをしたいと思います。

○公開予定

 特集「ハチ公と秋田犬」では、以下の内容を公開の予定です。

 「ハチ公の生家について」(ハチ公拾遺)
 「ハチ公の血統について 二、ハチの血すじ」(ハチ公拾遺)
 「ハチ公は秋田犬――血統をめぐりて(仮題)」(ハチ公考察)
 その他、ハチ公と秋田犬の関係を読み解く随想など。
 随時更新の予定です。どうぞお楽しみにお待ちください。

○ハチ公と秋田犬へ想い馳せる

 秋田犬でないハチ公を想像できるでしょうか?
 ハチ公と秋田犬は、もはや切り離せないほど、深い印象でつながっていることでしょう。
 何故、ハチ公は秋田犬でなくてはならないのでしょうか?
 ハチ公は秋田犬という歴史のなかで、あまりにも大きな役割を果たしています。
 この機会に、ハチ公と秋田犬の関わりについて、思い馳せてみませんか。
 皆さまのご感想や、ハチ公や秋田犬に対する思い入れなども、是非お寄せください。

○お詫び

 「ハチ公講座」の更新が予定より遅れてしまいましたこと、お詫び申し上げます。特集の間、ハチ公講座はお休みいたします。






トップへ 一つ戻る