ハチ公を歌おう


風ちゃん
風ちゃん(画像提供・渋谷のハチさん)


〇有名になって、唱歌が作られたり、サトウハチロー作詞のレコードが発売されたりと、音楽の歴史にも足あとを残したハチ公ですが、実は他にも、「ハチ公音頭」や浪曲「忠犬ハチ公物語」なんてものまで、作られたのをご存知ですか?いったいどんな作品であったのか、今となっては分りませんが、ここではかつてのハチ公人気をしのんで、「昔もかくやあらん」と、色々ハチ公の歌をこしらえてみることにしました。


ハチ公小唄

作・古池蛙水坊

これぞ秋田の心意気
いとし忠犬ハチ公の
昔くずれぬ 昔くずれぬ
この姿
待てど暮らせど来ぬひとを
待つは忠犬ハチ公の
むかし忘れぬ むかし忘れぬ
いじらしさ
伊達にゃ巻かぬこの尾っぽ
かわい忠犬ハチ公は
だれに振る振る だれに振る振る
この尾っぽ
泣いてくれるな涙雨
今日も忠犬ハチ公が
じっと待ってる じっと待ってる
渋谷駅
花はさくらぎ 山は富士
犬は忠犬ハチ公と
ニッポン名物 ニッポン名物
見にござれ

☆昔の小唄風に作ってみました。残念ながら曲はついておりません。どなたか作曲者募集!!

ハチ公かわいや
(カチューシャの唄替歌)


ハチ公かわいや
待つ身のつらさ
今日も渋谷の駅前で
ひと待ち顔のアアいじらしさ
ハチ公かわいや
待つ身のつらさ
せめて神よあるならば
一目主に逢わしてたもれ
ハチ公かわいや
待つ身のつらさ
今宵渋谷にふる雨よ
情けあるならアアやんどくれ
ハチ公かわいや
待つ身のつらさ
つらい別れの涙のすがた
今も偲ばんアア銅像に

☆ラジオもなく、レコードも普及していなかった頃。事件や流行歌を巷へ伝えたのが、俗に「流し」と呼ばれる「演歌師」でありました。そもそものことの起こりは、壮士が「演説」を、「歌」にのせて発表したことにはじまります。現代では違った意味で「演歌」と使われるようになりましたが、もともとは「歌う演説」を意味するのです。「権利幸福嫌いな人に、自由湯をば飲ませたい」ではじまる「オッペケペー節」などが、代表例です。演歌は時に思想を訴え、世を風し、後には流行歌をも生み出すようになりました。時代を経るにつれ、壮士の活動を離れて、歌を流して歩く「辻楽士」として「演歌師」という職業が確立されました。多くはバイオリン(これを「オリン」と呼びます)を片手に、流行歌謡或いは時事を扱った「事件歌」を十八番としていました。前者の例としては、震災前後に流行した「籠の鳥」が有名です。近年ドラマ化された「ハチ公物語」で、終盤場面に駅前を流して歩く男女の「演歌師」が描かれていましたが、この時歌われていた「逢いたさ見たさに怖さを忘れ……」が「籠の鳥」です。
 また、事件を歌ったものとしては、「ああ世は夢か幻か」の「野口男三郎事件」をはじめとして、関東大震災後の復興を願う「復興節」、昭和初年におきた猟奇事件に材をとった「ミスターバラバラ」などがあり、新聞とは別の形で巷に情報を伝えていました。
 しかし、この演歌師も、レコードの普及とレコード会社の専属歌手によって、次第に影をひそめてゆくようになります。人々は「赤い唇」や「籠の鳥」に代わって、歌手の歌う「東京行進曲」や外国のジャズを自宅の蓄音機で楽しむようになるのです。
 「ハチ公のいた時代」は、まさにそうした「古いもの」から「新しいもの」へと移り変わる過渡期にありました。「人力車」の数が減り「円タク(一円タクシー)」が普及し、「長屋」から「アパート」へ、「商店」から「デパート」へ、映画は「無声映画」から「トーキー(有声映画)」へと、世の中は変わって行こうとしていたのです。
 そうした移り変わりのなかで、変わらないでい続けたのはハチ公。人々は彼の真心に、現代人が失いつつあるものを感じたのかもしれません。
 さて、演歌には替歌が多く、有名な曲を借りて歌詞に様々なアレンジをほどこした歌がたくさんありますが、ここでは「カチューシャの歌」をもとに、ハチ公の歌を作ってみました。ハチ公贔屓の演歌師が、こうした歌を渋谷のまちで流して歩いていたかもしれませんね。





レビュー「 忠犬ハチ公の春 」
(宝塚レビュー「流線美の春」替歌)


春だ 祭りだ
祭りだ 春だ
今年忠犬 ハチ公の春だ
いよいよ 建つよ ハチ公の銅像
ハチは忠犬の お手本よ
ポチも忠犬 マルも忠犬
となりのジョン これもまた忠犬
忠犬に明けて 忠犬に暮れる
だって忠犬の春だもの

春だ 祭りだ
祭りだ 春だ
今年忠犬 ハチ公の春だ
ハチのお話 教科書に載るよ
ハチは忠犬の お手本よ
シロも忠犬 コロも忠犬
向かいのブル これもまた忠犬
のら犬までも 忠犬に変わる
だって忠犬の春だもの




☆少女たちのあこがれ「宝塚少女歌劇団」は、いつも流行の最先端。ファッションは夢のパリ・モード。レビューの音楽には、大胆に外国音楽を取り入れていました。この替歌の元になったのは、昭和10年上演のレビュー「流線美の春」で使われた同名の歌です。この頃、「流線美」という言葉が大流行し、様々なものに冠されました。
歌詞の一部分を引用しますと……

春だ 踊りだ
踊りだ 春だ
今年流線 流線美の春だ
花は出た出た 流線美の都
彼も流線 彼女も流線

 メロディーはトランペットの響きも軽やかに、春らしいうきうきとしたものです。歌詞にある「彼」「彼女」も当時の流行語で、現代のように恋人を表す言葉として定着したのが昭和初期のことです。
 レビューが発表された昭和10年は、ハチ公の没年でもあります。同年、外国映画ショパンの生涯を描いた「別れの曲」が輸入されました。我々が愛唱するショパンの「練習曲第3番ホ長調」が「別れの曲」と呼ばれるようになったのは、この映画の主題歌であったからなのです。ハチ公なき渋谷の町にも、「別れの曲」は流れたことでありましょう。そして、代わって町を見守ることになったハチ公像の前では、恋人たちが、ランデブーで待ち合わせるようになります。
「あら、アタシ随分待ってよ。ハチ公ほど待ちぼうけしたワ」
 なんてすねてみせるモダンガールを、ハチ公の銅像は苦笑いしていたかも知れませんね。



春ちゃん
春ちゃん(画像提供・渋谷のハチさん)



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