ハチ公講座

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モダンガールとハチ公あら、あなたどちらへ?



飾り 第十一回 「 移り変わる時代とともに 」

 大正という時代が終わりを告げ、年号は昭和と変わり、やがて秋がやってきました。ハチの、渋谷での生活がはじまります。

 この頃、東京は激しい水の流れのように、大きな変化のまっただ中にありました。
 ハチが秋田からやってきた頃は、前年に起きた未曾有の大災害・関東大震災の爪あとも生々しく、バラックがあちこちに建っていました。幸い、被害の少なかった渋谷のまちは、家を焼かれた被災者の、救済地にもなっておりました。
 東京の都を新しく!これから迎える時代を新しく!
 大々的な帝都復興計画のもと、東京は生まれ変わろうとしていました。
 人の心も、「現代的」に、「洗練された」「モダーン」な生活を求めていました。断髪に洋装のモダンガールが、軽やかに往来を闊歩しだしたのも、この頃です。
 そうした「急げ、急げ」という時代の足音が迫りつつも、渋谷にはまだ昔のにおいが残っていました。「東京府下」である渋谷は、現代の姿がうそのような「田舎」であったのです。
 一方で、盛り場はぐんぐんと急成長をみせ、明るい電燈のもと、商店が軒を並べてにぎわいを見せていました。この、まだまだ片田舎ではあるが、これから大いに発展していくであろう「希望のまち」に、ぽつんと現れたのがハチ公であったのです。まさか、一匹の犬によって、渋谷が東京中――いえ、日本中に、そして世界に紹介されることになるとは、まだだれも知る由がありません。

 東京が慌しかったように、ハチにとっても、色々なことがありました。新しい小林さんの家では、どんな生活が待っていたでしょうか。

 上野夫人は、小林さんにハチの養育費を送ろうとしました。ところが、小林さんはそれを断ります。そして、決して豊かではありませんでしたが、自分たちの力で、ハチ公の面倒をみたのです。
 菊三郎さんの弟、友吉さんは、ハチをよく散歩へ連れ出しました。友吉さんとも、古くからの顔馴染みであったハチは、友吉さんによくなついていました。また、ハチを可愛がってくれる近所の人たちもいました。
 その内の幾人かを、斎藤弘吉さんも覚えていて、晩年の著書に記しています。  ひとりは、朝日新聞の配達をしていた人で、もうひとりは、駅のガード下の、交番向かい側にあった文具店の店員さんです。配達屋さんは、小林さん一家に代わって、よくハチの散歩をしてくれたそうで、文具店の店員さんは、水を飲ませてくれたりと、ハチを労わっていたといいます。
 ところが、このふたりは、不慮の事故で亡くなってしまったそうです。
 菊三郎さんと友吉さんで、協力してハチに運動をさせていましたが、植木屋のお仕事も忙しさを増し、散歩を協力してくれた配達屋さんが亡くなると、なかなか思うように時間を割いてやれなくなってきました。これでは、高橋さんのもとで、ハチの味わった散歩の足りない苦しみを、繰り返すことになってしまいます。
 あの時代は、現代とは違って、犬の生活もまだ昔のままでしたし、交通量も違います。小林さんはハチが自分で好きに出歩けるように、綱を外してやりました。
 すると、ハチは目指すところがあるように毎日出かけてゆくのです。
 そこは、懐かしい上野先生を送り迎えした、渋谷駅でありました。


第十二回 「 渋谷散歩はじまる 」

 渋谷駅で乗り降りするひとや、駅の周辺に生活するひとたちは、いつも改札口でぽつんと座っている犬の姿を見かけるようになりました。
「おや、この犬はなんだろう」
 あんまり度々目にするので、ふしぎに思うひともありました。
「なんだ野良犬かな」
 舌打ちして、早く追っ払えばよいのに、と感じるひともいたでしょう。
 あるいは、そこに犬がいることに、さして注意をむけない人たちも、たくさんいたのです。だれも、この犬が何処からやってきて、どういうわけで此処にいるのかを知りません。昭和七年の新聞で紹介されるまで、分らなかったのです。
 ふしぎな犬の姿は、渋谷駅だげでなく、駅に通う道すがらにも見ることができました。そこで出会ったひとたちの多くは、この犬がこれから何処へ行こうというのかを知りません。
 震災後の、急速に発展していく街のなかでの点にしか過ぎない犬。
 ただ、時間だけがこつこつ流れてゆきました。
 犬――ハチの渋谷散歩は、すっかりお馴染みになり、仲良しのお友だちもできました。
 渋谷駅前に、「梅原園」という製茶の販売店がありました。朝になると、開店の準備がはじまります。店先に台を据えて、品がずんずん並べられてゆきます。忙しく立ち働く店員さんのなかには、まだあどけない顔も見えます。近頃仕事についたばかりのお小僧さんです。小さなお小僧さんが、缶詰の陳列をしていますと、ずんと立ちふさがるものがありました。
 仕事の邪魔をするものはと見れば、大きな犬の、ポチンと可愛らしい目がありました。
「あっちへいけ。忙しいんだ」
 お小僧さんは、犬のお尻を力いっぱい押しのけました。ようやく並べ終わって、一息をいれると、犬はまだこちらを眺めています。
 これがハチと、お小僧さん「吉どん」の出逢いでありました。
 ハチは、毎朝吉どんのもとへやってきては、仕事の様子を見ていました。ふたりは、どんどん仲良しになりました。吉どんが、ハチの体をぎゅうっと抱きしめますと、ふわふわとあたたかいぬくもりが伝わってきました。
 さて、吉どんと遊んだハチは、とことこと、「梅原園」のお隣にあるお店の前へ歩いてゆきます。もとは魚屋でしたが、いまは「ニカク食堂」というお店にかわっていました。ハチは器用に、前足でドアを、コンコンとノックします。そして、開けて貰ったドアの奥へ入ってゆきました。ここは、ハチが朝ご飯を食べる、ひいきのお店であったのです。
 「ニカク食堂」は、残りもののなかから、ハチの好きな食べ物をとっておいてくれました。「ニカク食堂」で食べるご飯――それから食堂の人たちの、そうしたやさしさが大好きなハチは、小林さんちで朝食を食べずに、渋谷駅へ出かけていたといいます。
 名前は伝わっていなくとも、ハチの渋谷散歩をやさしく見守ってくれたひとは、他にもたくさんあったことでしょう。
 ハチは、先生の思い出だけではなく、渋谷のまちの人情を愛していたに違いありません。


第十三回 「 庶民のくらしのなかで 」

 さて、渋谷駅を逍遥するようになったハチ公の晩年からは、とてもほのぼのとした姿が窺えます。
 植木屋の小林さんの家を最後の住処と定められたハチ公は、小林さん一家のまごころと、与えられた自由な時間に、のびのびと暮らしていたようです。
 それは、上野先生による、至れり尽くせりの羽毛で包み込むような愛情とは違いますが、小林さんの「ハチのしたいことを認めてやる」という接し方もまた、別の肌触りのする愛情でした。
 上野邸での、豊かな暮らしは、幸福そのものでした。ものに不自由せず、そして溢れるような家族の愛。小林さんの家でハチが知ったものは、決して物は豊かでないけれども、毎日を雑草の如く、たくましく生きていく人々の活気と、困った者を助け合う人情でありました。太い、しっかりとした絆でありました。
 植木屋小林さんちのハチとして、すっかりご近所とも顔馴染みになりました。小林さんの家に訪ねてきたひとは、玄関前の犬小屋にいるハチに出迎えられました。
 お家の裏には、お肉やさんがあります。子どものないご夫婦がやっているお店でした。このおうちでも、ハチはよく可愛がられました。
「ハチ、これはお土産だよ。おうちへ帰ったら、おかみさんに煮て貰いな」
 肉屋のおばさんは、肉の包みを風呂敷に入れて、ハチの首へ巻きつけてやりました。

 それから、大向小学校の用務員をしているご夫婦も、ハチを労わってくれました。
「ハチや、よっといで。おいしいものを、こさえてやろうね」
 高台にあった在りし日の上野邸からは、大向小学校を見下ろすことができました。用務員のご夫婦は、上野家で暮らすハチの姿を、垣根越しによく見ていたのです。きっとご夫婦は、上野先生に甘えるハチの姿を、なんども目にしたことでしょう。

 頼りになる巡査さんもいました。
「小林さん、ハチが野良犬捕獲人に捕まったよ。わけをいってあるから、早く行って引き取ってき給え」
 そういって、小林さんの家へ飛び込んできたのは、ずんぐりした丸顔の、川上さんという巡査です。近所の、代々木深町交番に勤めていました。
 川上巡査は、ハチのことを気をつけてくれて、捕獲人に捕らえられるたびに、助けてくれたのです。川上巡査のおかげで、度々ハチは危ういところから逃れられました。

 やがて、渋谷のまちに日が暮れます。
「かえるが、なくから、かアえろッ」
 ぽつんぽつんと家に灯がともり、夕焼け雲が流れる頃、ハチは小林さんちの子どもらを、お隣にある銭湯まで送ってゆきました。広々とした「小泉湯」は、小林さん一家が一日のつかれを落とすところです。ハチは、入り口で子どもたちが出てくるのを、じっと待っていました。
「アア、いい湯だったア」
 がやがや、楽しそうにみんなが出てくると、ハチもうれしそうに立ち上がります。小さな子なら、背中に乗せて歩くハチです。みんなは、きゃっきゃっと笑いあいながら、お家へ帰りました。お勝手からは、タンタンタン……と包丁のなる音が響いて、おみおつけのにおいが、ふんわりとにおってきました。


第十四回 「 変わる東京に夢を追う 」

 「昭和」という名とともに、切って落とされた新しい時代は、街の姿も、ひとの心も変えてゆきました。
 かつての東京を、詩人の北原白秋はこう唄っています。

 金と青との愁夜曲(ノクチユルヌ)
 春と夏との二重奏(ドウエツト)
 わかい東京に江戸の唄

 東京が、まだ頬に血気さす若者であったとき、昔ながらの江戸の姿が、あちこちに残っていました。しかし、大正十二年に襲いかかった関東大震災によって、古いものはたちどころに失われてしまったのです。代わってにょきにょき現れたのが、時代の先端をゆく、近代都市。洋風の家にビルジングが立ち並び、夜はカッフェーの灯も赤く、若者はジャズに酔いしれました。
「そんなの、ナンセンスよ」
 古いしきたりを、鼻で笑って、今時娘は長い髪をジョキジョキ切ってしまったり、くるくるのパーマネントにしてしまい、パリ・モードを気取った洋服に外国香水をふりまくのです。そして、出かけるところといえば、流行のまち「銀座」。「彼氏」の腕を組んで、ハイヒールはダンスホールへと繰り出してゆきます。

 昔恋しい銀座の柳……と流行歌「東京行進曲」は震災で失われた柳並木を懐かしみ、「恋の丸ビル」と「ラッシュアワー」のなかで、現代の恋人たちのスタイルを描き出し、「変わる新宿あの武蔵野の月もデパートの屋根に出る」と、激変する東京の姿を歌いあげました。
 お洒落で、夢多き、ベルエポックのような「昭和モダニズム」時代の幕開けです。ひたひたと押し寄せる軍靴の響きを影にして、モダニズムの夢は輝いていました。
 こうした時代の変化に、さびしさを感じる人たちもいました。自分たちの知っている東京は、「震災前」という言葉とともに、「古き良き時代」へ遠ざかっていたのです。
 かつて東京を愛した文人たちのなかには、都を見捨て、地方都市へ移り住むものもいました。また、モガ・モボに代表される若者の風俗に、「まったく近頃の東京人は軽薄になった」と眉根を寄せるひともいます。洋式に変化する生活に、古びた日本を恋しがる世代もありました。
 この古きもの、懐かしきものが失われようとする「現代」に、「懐かしい日本」を追いかける青年がいました。
 名を斎藤弘さんといいます。後に筆名で斎藤弘吉と呼ばれるようになります。
 斎藤さんが求めている「懐かしい日本」、それは昔変わらぬ立ち耳巻き尾をした日本固有の犬たちでありました。
 犬好きの斎藤さんは、病気療養中にふとしたことで日本犬に出逢い、その恐るべき減少を知りました。変わっていくのは東京だけではなく、日本という国でありました。日本は、明治の文明開化以来、発展とともに、多くの風習を失いました。固有の動植物もその例外ではありません。ことに、日本犬の雑種化は著しく、もはや東京で立ち耳巻き尾の犬を見ることは難しいとまでいわれていました。
 このままでは、日本固有の犬が滅んでしまう!
 斎藤さんは、たったひとりで「日本犬保存会」を発足させました。ときは、昭和三年の五月。その翌々月に運命の出逢いが斎藤さんを待ち構えていました。


第十五回 「 運命は停留所に 」

 日本犬保存会――という立派な名はついても、活動するのは斎藤さんひとりです。まず、なにからはじめたものでしょう。日本犬を探し出すことです。そして、犬籍簿をつくるのです。どこのだれの飼っている何号と登録します。そうすれば交配をする際も、簡単に相手の犬を見つけることができます。日本犬の血を次へ残すことが出来るのです。
 斎藤さんの日本犬探しがはじまりました。
 新聞に、立ち耳巻き尾の犬を見つけたら教えてくれるように投書しました。また、自分でも方々を歩き回りました。東京にも、地方から持ち込まれた日本犬が数少ないながらもいたのです。更に斎藤さんの足は、山里までも伸びてゆきます。
 ところが、すぐ近くに運命は転がっていました。
 七月のある日。バスに乗って外を眺めていた斎藤さんの目に飛び込んできたのは、大きな秋田犬が停留所で遊んでいる姿。慌ててバスを降り犬に近づきました。ところが、犬はびっくりして逃げてしまいます。追いかけて、どこかのお家に辿りつきました。のそっと出てきたおやじさんに、斎藤さんはわけを話します。
「私は日本犬を探している者なんですが、この犬はお宅の犬ですか」
「そうです」
「名はなんというのですか」
「ハチといいます」
 むっつり顔のおやじさんは、小林菊三郎さんです。斎藤さんはハチのかなしいいきさつを聞かされ、深く感じ入りました。そして、ハチの名はそのいわれとともに、第一回日本犬犬籍簿に記されました。これが、ハチの記録としては最初のものです。
 斎藤さんは、日本犬保存の活動の傍ら、ハチのもとを訪ねるようになりました。ハチに会うには、渋谷駅へ行けばよいのです。
「さあ、ハチ。やきとりでも食おうか」
 斎藤さんが屋台でやきとりを買ってきてやると、ハチは喜びました。
「ハチ、おまわりおまわり」
 斎藤さんの声に、ハチはくるん、くるんと回ってみせます。芸のきらいな上野先生が教えてくれた、数少ないハチの芸当でした。
「よしよし、よくできたね」
 頭を撫ぜてやると、ハチは可愛らしい目でこちらを見つめているのでした。
 こうして、折々渋谷駅へハチの様子を見に行く斎藤さんですが、あるときはおやと目を見張りました。
「どうした、ハチ!首輪がないじゃないか。これじゃ野良犬と間違われて、捕獲人に連れていかれてしまう。ああ、また盗まれたんだな。ハチ、お前があんまりおとなしいから――」
 首輪だけではありません。畜犬票を安産のお守りといって抜いてゆくひともありました。ハチはなにをされても、決して抵抗しないのです。吠えもせず、唸りもしません。ただ、あの可愛らしいぽっちりした目を丸くしているばかり。
 いじわるな人が、ハチをいじめることもありました。
「やい、くそ犬向こうへ行けッ。商売の邪魔だい」
 屋台のおやじは、ハチがちょっと側へ寄っただけで、怒って水をかけました。
「チョッ、何処の野良犬だい。いつもここにいやがらア」
 通りすがりの人が、うさ晴らしにけりとばしていくこともありました。
 いつものように斎藤さんが渋谷駅へハチを見舞いに行くと、丁度駅員の部屋からのっそり出てくるところでした。
「おお、ハチ」
 思わずふきだした斎藤さんです。まあ、ハチは墨で黒々とメガネを描かれ、八の字髭をつけられているではありませんか。ハチはらくがきされたのも知らずに、悠々と歩いてきます。笑ってしまった斎藤さんも、今度はハチに対する哀れさがわきあがってきました。
 かわいそうなハチ!近頃は人情も薄くなってしまった。せっかくハチの好きな渋谷がこんなでは、あんまり不憫だ。みんなが、ハチのことを分ってくれたら……。
 斎藤さんは、日本犬保存会で発行していた会誌に、ハチのことを書きました。少しでも多くのひとに、ハチという犬がいることを知って貰いたかったのです。けれども、会誌では読者が限られてしまいます。
 そうだ、新聞に投書しよう!
 さっそく、朝日新聞にハチのことを書いて出しました。どういう結果になるでしょう?どきどきと知らせを待つ斎藤さんは、ある日新聞を開いて驚きました。

「いとしや老犬物語 今は世になき主人を 待ちかねる七年間」
 ハチが写真入りの三段見出しで紹介されていたのです。

 こうしてお話は、冒頭の昭和七年に戻ります。


続く……
 

★次回予告★
新聞に報道されたハチは、たちまち「時の犬」となり、
渋谷駅は「旬のスポット」と化します。
人々の騒ぎのなかで、ハチがアイドルになるまでを追います。


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