ハチ公講座 渋谷駅のおなじみ「 忠犬ハチ公 」。

この銅像となっている犬のことを、みなさんはご存知ですか?

ハチ公が帰らぬ主人を待っていたのはほんとう?

ハチ公は実はのら犬ではなかった?!

ハチ公はほんとうは悠々自適に暮らしていた?!

さあ、ハチ公がどんな犬であったのか

なにを想い、生きてきたのか

ハチ公を知りたい方必見です。


ラヂオを聴くハチ


☆「ハチ公講座」は毎週土曜日更新です。但し、第3・第4土曜日にはお休みをいただく場合もございます。ご了承ください。
(※現在不定期更新になっています。)


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飾り第一回 「 忠犬ハチ公の物語 」

 ハチ公といえば、渋谷駅です。待ち合わせの名所となっている銅像を、思い浮かべることでしょう。
 ハチ公のお話は、とても有名です。だれでも、一度は耳にし、本を読んだり、映画を見たりしたことがあるでしょう。日本人なら――世界においても――みんなが知っている犬の名前です。
 さて、みなさんの知っているハチ公の物語とは、どういうものでしょうか。

 昔、渋谷駅までご主人を送り迎えするのが日課である犬がおりました。
 ところが、ある時ご主人は勤め先で亡くなってしまいました。
 犬は、ご主人が死んだとは知らず、駅頭で帰りを待ち続けました。
 何年も何年も……死ぬその日まで、待っていました。

 これが、よく知られているハチ公のお話の概要です。

 でも、それはいつの時代のことであったのか。待ち続けたご主人はどんな人であったのか。ハチ公という犬は、ほんとうはどういう犬であったのか、あまり詳しい事実は知られていません。
 本館(本サイト)では、こうした埋もれた事実を広くみなさんに知って貰いたいという思いでこしらえました。この講座では、簡単にハチ公の一生をご紹介してゆきたいと思います。


 時は、今からさかのぼること、七十数年前。
 昭和7年、10月4日の朝日新聞に、次のような記事が掲載されました。

 それは、「いとしや老犬物語 今は世になき主人の帰りを 待ち兼ねる七年間」という見出しではじまり、写真つきで一匹の犬を紹介していたのです。

 「東横電車の渋谷駅、朝夕真つ黒な乗降客の間に混つて人待ち顔の老犬がある。秋田雑種(※)の当年とつて十一歳の――ハチ公は犬としては高齢だが、大正十五年の三月(※2)に 大切な育ての 親だつた駒場の故上野教授に逝かれてから、ありし日のならはしを続けて雨の日雪の日の七年間をほとんど一日も欠かさず今はかすむ老いの目をみはつて帰らぬ主人をこの駅で待ちつづけてゐるのだ(以下略)」

 この日の朝日新聞を目にした人たちは、驚きました。ことに、渋谷界隈の人々の驚きといったらありません。
 なぜなら、渋谷界隈では、みんなが毎日のように見ている「駅前の野良犬」であったからです。
 新聞で報道されると、もう渋谷駅周辺は大勢の人が押しかけて、たいへんな騒ぎです。みんなが、新聞に出ていた犬を見ようとやってきたのでした。
 いつの時代でも「かわいそうなお話」は、世のひとの同情を誘うものです。このときも、たくさんの人たちが、食べ物を持ってきてやったり、撫ぜて慰めてやったりしました。
 ハチ公は、一躍駅の人気者です。
 今までは、事情を知らない人から、ただの野良犬だと思われ、ときにはけったり、追っ払われたり、いじめられもしたハチ公ですが、有名になるにつれて、駅がだんだん居心地のよい場所となってゆきました。
 ところで、このハチ公は、ちゃんと首輪(胴輪)をつけています。畜犬票も持っていました。駅が、ハチ公の身元調査を行いますと、渋谷駅からもほど近い富ヶ谷で、植木屋さんが飼っているということがあきらかになりました。
 ハチ公は、野良犬ではなかったのです。

 植木屋さんは、小林という名で、菊三郎さんという方がご主人でした。この人は、上野英三郎博士のお宅へ、出入りしていた職人さんです。博士亡きあと、ハチ公を引き取って世話をしていました。
 小林さんのお家では、菊三郎さんはじめ、おかみさん、菊三郎さんの弟友吉さん、それから子どもたち、みんながハチを家族のように可愛がっていました。ハチも、小林さん一家の一員として、老年の日々を穏やかに暮らしていました。
 この当時、犬は繋いで飼うか、放し飼いにするかが一般的でしたが、小林さんのお家では、ハチが好きに出歩けるようにと、散歩のとき以外は放してありました。
 放たれたハチは、吸い寄せられるように、渋谷駅へ行ってしまいます。そして、毎日、改札を出入りする人々を眺めるのがくせでした。
 それを、みんなは宿なしの野良犬だと、思い込んでいたのです。

(※ 秋田雑種……新聞記者の勘違いによる誤報で、後に訂正文が出ました。)
(※2 大正十五年……これも記者の誤報で、実際は後述するように大正十四年のことです。)


第二回 「 ハチ公はのら犬ではなかった 」

 松竹で映画化されたハチ公物語や、近年ドラマで放送された作品をご存じの方は、ハチ公を引き取ったものの、急死してしまう植木屋の「菊さん」なる人物をご記憶でしょう。この「菊さん」のモデルとなっているのが、「小林菊三郎」さんです。
 映画やドラマでは植木屋の「菊さん」が急死してしまい、ハチ公は野良犬生活を余儀なくされてしまう、という筋たてになっておりますが、実際の小林さんは天寿を全うされましたし、ハチ公も野良犬にはなっておりません。

 小林さんにとって上野先生は、単なる出入り先の主人というだけではありませんでした。植木屋として自立するにあたって、先生のお世話になったのです。また、同じく植木屋の修行をしていた弟の友吉さんの面倒も見ていただきました。小林さん兄弟は、仕事疲れにお食事やお風呂をふるまって貰うほど、上野家とは親密なおつきあいをしており、お屋敷の雑用も任され、いわゆる「男衆」の役目をもしていました。
 ハチ公が秋田から送られてきたとき、駅まで受け取りに行ったのも菊三郎さんです。

 ドラマではお調子者の職人さんといった風に描かれていた小林さんですが、実際はとても無口な人であったそうです。残された写真をみても、むっつりとした顔をして、とっつきづらそうな雰囲気を感じます。
 しかしそれは、お世辞をいって人に媚びたりしない、真面目で誠実な性格も感じさせます。上野先生も、小林さんの実直さを好いていたのでしょう。
 責任感の強い小林さんは、上野先生の形見であるハチ公の面倒をよくみてくれました。胃腸の弱いハチのために、食事には一層気を遣い、滋養のある牛肉を食べさせてくれました。毛皮も折りを見ては梳いてやり、散歩も弟の友吉さんと交代で連れ出しました。また、環境の変化にさみしがるハチ公の気をまぎらわせようと、夜のおつかいのお供をさせたりもしました。
 上野先生へのご恩返しばかりでなく、ハチ公を家族の一員として、深く愛していた小林さんであったのです。
 ハチ公も、小林さん一家の愛情のなかで、静かな余生を送っていました。決して、一般にいわれているような、悲惨な生涯ではなかったのです。しかし、その一方で、ハチ公にはどうしても忘れることができないほど、かなしいことがありました。それはかつての飼い主――ハチ公にとっては「お父さん」である上野先生との死別と、もうひとつ、「お母さん」との生き別れであったのです。


第三回 「 上野家に襲いかかった悲劇 」

 ハチ公のお母さん、それは上野未亡人に他なりません。映画やドラマをご覧になった方は、おそらくこう疑問に思われたことでしょう。

「どうして、上野未亡人はハチ公といっしょに暮らさないのだろう。何故、他所へハチを預けてしまうのだろう」

 当時の人は、上野夫人が「犬嫌い」なのであろうと考えていました。
 しかし、上野夫人は、犬が嫌いであったから、ハチと暮らさなかったのではありません。そこには、上野家の悲劇が隠されていました。

 上野博士は、長いこと独身を通されてきましたが、後に年の離れた八重子さんとご結婚なさいました。八重子さんは、茶道裏千家の出身でした。ところが、このふたりは祝福されていっしょになったのではありません。実は、八重子さんは内縁の妻で、戸籍に入っていなかったのです。
 どうして、上野先生は八重子さんを籍に入れなかったのでしょう。詳しいいきさつは分かりませんが、どうも上野先生の実家がこの結婚に対し、不承知であったものと考えられます。上野先生のご実家は、三重県にあり、地元では名家で知られていました。先生は若い頃に、親の決めた結婚に承服出来ず家出をしたのだ、という話も残されているくらいですから(本当のことかは分かりませんが)、実家との間になんらかの軋轢があったのではないでしょうか。(当時の民法では、戸主以外の家族の婚姻には、戸主の承諾が必要であったのです。「ハチ公文献集」参考)

 子どものなかった上野ご夫婦でありましたが、たくさんの愛犬に囲まれ、家族の絆はしっかりとつながっていました。ハチ公は、こうしたなかで、みんなに愛され、すくすくと成長していったのです。
 ところが、突然訪れたのが、大黒柱である上野先生の急死です。
 いつものように学校で講義をしていた先生は、脳溢血であっというまもなく世を去られたのでありました。大正十四年の五月二十一日のことです。
 音をたてるように、上野家は崩壊しました。残された夫人と愛犬たちは、「たちのき」を迫られたのです。戸籍に入っていない八重子さんは、法的にいっさいの財産を相続する権利を持たないのです。先生亡きあと、お屋敷に住むことさえ許されませんでした。四十九日も待たずに、多くの荷物も持たず借家へ移らねばならない八重子さんは、ハチ公や、その他の愛犬、ジョンやエスたちを、親類のお家へ預けることを余儀なくされました。


第四回 「 あちらへこちらへ転々と 」

 ハチ公が最初に預けられたのは、日本橋にある呉服屋さんでした。
 ここでは、短い綱につながれたままで、お散歩もできませんでした。無理もありません。呉服屋さんでは、商いが忙しい上に、突然ハチのような大きい犬を任されたのですから、正直なところ、扱いかねたものでしょう。あるとき、お店のお小僧さんがハチの綱を解いてやったところ、大喜びでハチ公はお店のなかに上がりこんでしまいました。丁度お客さんできていた他所の小母さんのうしろ姿を、とっさに「お母さん」と思い込んだハチは、必死になってとびつきました。お客さんにしてみれば、大きな犬に襲われたようなものです。お店は大騒ぎになってしまいました。
 お客さんの信用が第一の商店業です。この「そそう」から、ハチ公は別の親類の所へ行くことになりました。今度は、浅草の高橋さんというお家で、理髪用の椅子を製造していました。
 高橋さんのお家には、Sという名の犬が飼われていました。ハチ公はS君と仲良しになり、並んで写した写真も残されています。食事もよいものを食べさせて貰い、大切に扱われましたが、ハチにとって満足できないのが散歩の問題です。
 ご主人の高橋さんや、息子さん、力持ちの文子さんという女中さんが、代わる代わる、時間を見ては連れ出してくれますが、なんといっても育ち盛りの秋田犬が相手です。遊びたい年頃のハチ、まして上野家では広々としたお屋敷の敷地で、のびのびと暮らしていたのですから、ちょっとやそっとでは運動した気になりません。あるとき、息子の孝一郎さんは、雪の日に散歩に出て、いつまでも帰らないとだだをこねるハチに手を焼かされました。また、仕事も忙しいときは、じっくり構って貰えずに、ハチはかなしがりました。
 そして、一番の問題は、ハチ公の存在が、近所の人たちに誤解を与えてしまったことです。
 ハチ公が、大きい犬であったから。人々は、生意気な犬だといったり、近所の犬をいじめたなぞと悪口をきいたりしました。S君が他所の犬にいじめられて、ハチが怒って吠えますと、それだけでハチが悪いことをしたように、その犬の飼い主が憤慨する始末です。とうとう近所の人々と高橋さんの家とで喧嘩がおきてしまいました。上野夫人は、この上迷惑はかけられないと判断しました。


第五回 「 離れていても絆はかたく 」

 ハチと別れた上野夫人は、どうしていたでしょうか。ハチがつらかったように、夫人もまた、つらく苦しい思いをしていました。
 かつて楽しい日々を送った上野邸は、別のひとに買い取られ、懐かしい思い出の刻まれた家具は、道具屋へ売り払われました。それを、どうすることも出来ない夫人です。女のひとが一人で暮らしていくのが、とても大変であった時代のことです。夫人は茶道の先生をはじめて、暮らしをたてていました。
 そこへ伸びてきた、多くの救いの手がありました。上野先生が大切に育んできた門下生たちです。
 門下生たちは、上野先生の別荘――これは先生の死後は門下生の持ち物にするという約束がされていました――を売り払い、夫人の新しいお家を買う資金にあてました。また、無慈悲に売り払われた家財道具を買い戻しました。だれよりも尊敬する先生のために、その奥さんのために、門下生たちは協力しあったのです。
 ようやく夫人の新宅が、世田谷に出来上がったのは、年号も昭和と改まっていました。やっと、ハチと暮らせるときがきたのです。夫人がハチを呼び寄せると、ハチの喜びといったらありません。ふたりは、しっかりと抱き合ったことでしょう。
 しかし、悲劇はまだ終わってはいなかったのです。
 ハチのほかに、上野家で飼われていたエスという犬がありました。かつては、仲良く遊んだ兄弟のような仲です。ところが、どうしたというのでしょう、エスはハチを見るなり威嚇して噛み付いてきたのです。
 エスはどこへ預けられ、どんな暮らしをしてきたのか伝えられていませんが、目まぐるしい環境の変化は、エスにとって大きなショックであったに違いありません。まるで犬が変わってしまったようなのです。
 ハチをいじめるエス――このままでは、二匹をいっしょにはしておけません。また、散歩の問題も解決されていません。昔のことでありますし、女の人が大型犬を散歩させるのは、難しいのです。結局、あの頃の習いとしては放し飼いにする他ないのですが、ハチ公が畑を荒らすといって、お百姓さんがカンカンに怒って文句をいいました。町育ちのハチには、畑と道の区別がつかなかったのです。
 夫人は悩みました。亡き夫との思い出をつなぐ、大切なハチ。しかし、このお家にいては充分に散歩もさせてやれず、そのためにお百姓さんを怒らせ……、またエスとの問題……。
 悩みに悩んだ上野夫人の心を動かしたのは、懐かしい渋谷の町を恋しがるハチの姿でした。いつまで待っても姿の見えない「お父さん」を呼ぶハチの声。
 とうとう、夫人は決断します。渋谷駅にも近い富ヶ谷の、小林菊三郎さんにハチ公を預けることにしたのです。
「大切な上野の形見を預ってほしい」
 と、夫人が頼みますと、実直な小林さんは断ります。
「大切な形見を預って、もし間違いでもあったら、いいわけがたちません」
「じゃあ、あげる」
 夫人は小林さんにハチを「託した」のです。思い出深い渋谷の町に、先生の面影を追うハチの姿が、あまりにせつなかったのです。
 「預ってほしい」と頼まれ、きっぱり断った小林さんですが、ハチが自分の家の犬となった以上、責任と愛情を持って、ハチの世話を引き受けました。小林さんのまごころは、最期までハチを見守り続けたのでした。
 上野夫人は、心のなかで小林さんに手をあわせました。
「菊さん、ありがとう……」
 夫人もまた、影ながらも、ハチを想っていました。ふたりは離れていても、心の絆はしっかりと結ばれていたのです。


続く……(次へ)
 
★次回予告★
浅草を後にし、上野邸と別れ、小林さんちの犬になったハチ。
時間の流れを少しだけ遡りまして、懐かしい上野先生との暮らしを振り返ってみましょう。


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